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シンワキンガクは、経済産業大臣指定 日本伝統的工芸品の福山琴を製造している会社です。

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〒720-0001 広島県福山市御幸町上岩成302-6

生田琴news

琴の流れ

賢順の門人、法水が江戸時代の初め江戸に出て、その門に学んだ盲人八橋検校がそれを基にして俗筝を普及させ、江戸時代に検校・勾当などの盲人の専業となって筝曲の進歩や発展がありました。
八橋検校が組歌と称する歌曲(筝を伴奏する独唱曲)を創作し、それを高弟北島検校、その門弟倉橋検校などに継承した流れを便宜上、八橋流と呼んでいます。

八橋流という流派は江戸時代初期に八橋検校が唱えだしたものではなく、
江戸時代後期に亀島検校が唱えたものである。
今日では、この流派をのちの生田流や山田流と区別するために八橋流といっています。

元禄時代(1688~)に入って北島検校の門弟である京都の生田検校が
当時流行していた三味線曲の地歌をとり入れた新様式の筝曲を創作したと言われています。
それが世に広まり、それを生田流と称して今日まで大きな勢力を持つに至りました。

その頃、継山検校も生田検校と同じように地歌三味線をとり入れ、筝曲の新流派を広めた。
これを継山流と称し江戸時代を通じて生田流と相並んで盛んに広まり、
京都や大阪北部は生田流、大阪南部から四国にかけて継山流が勢力を持つに至りました。

しかし、明治以降から大正間に至り、継山流は生田流に吸収されてしまいましたが
演奏技法はそのまま継山流として残っているそうです。

江戸時代中期までは京都や大阪に比較して筝曲はあまり盛んに行われていませんでした。
しかし、文化・文政頃(1808-1829)に至って江戸の山田検校は当時、江戸に流行していた浄瑠璃三味線曲の一中節、河東節、富本節などの様式をとり入れて、新しい歌曲を創始しました。
この流れを山田流と呼び、主として関東を中心にして流行し、
江戸時代末期から明治にかけて西日本(京都・大阪)の生田流と東日本の山田流と相対してわが国の筝曲界を二分する勢いを示したそうです。
                                   「琴の響き」より


生田琴

「生田琴」と「山田琴」がありますが、両者の規格(形)は全くことなります
長さは5尺5寸・5尺8寸・6尺2寸・6尺3寸とあり、産地や作り手により様々です。
当社に於いては和田善亀が牧本正雄から受け継いだ生田琴の製造技術・規格をもっており、
長磯・小磯・大磯 といった高級琴があります。
(山田琴とは造り方が全く異なります。)

     
外観は細長く、龍尾(柏葉側)は角張っています。
(画像では角が丸くなってみえますが、実物では直角になっています)
生田琴の等級は、山田琴とは一部異なっていますし装飾にも違いがあります。
   

店舗イメージ

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新和琴楽有限会社

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